2006年 02月 14日
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ある一枚の絵を見たときに、その絵に対して、
人によって全く違う解釈のしかたがあって、
また、それを見る位置や角度や、さらには、
その時の見る人の心情によって、千差万別の理解が生まれる。
それは、ある意味で、物事の多面性の真理を示唆しているようにも思える。
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by shogo-otani
| 2006-02-14 07:41
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2006年 02月 14日
ある一枚の絵を見たときに、その絵に対して、 人によって全く違う解釈のしかたがあって、 また、それを見る位置や角度や、さらには、 その時の見る人の心情によって、千差万別の理解が生まれる。 それは、ある意味で、物事の多面性の真理を示唆しているようにも思える。 #
by shogo-otani
| 2006-02-14 07:41
2006年 02月 10日
何を、したいか。 そろそろ、考える頃かな。 別に逃げている訳でもなく、 ただ、周りのペースに流されるのだけは嫌で、 自分が何者なのか、なんて、 たかが20年とちょっと生きたくらいで、 わかる訳なんてない、てこともわかっている。 それでも、やっぱり、 そろそろ考える頃なのかもしれない。 自分なりの、ペースで。 #
by shogo-otani
| 2006-02-10 20:47
2006年 02月 09日
限りなく増え続ける情報を、 出来るわけもないのに、すべて消化しようとして、 誰もが、常に、忙しいという感覚の呪縛から、逃れられずにいる。 そんな、異状が当たり前の時代だから、 何も考えない時間なんていうのは、滅多にあるものじゃない。 洗い物をしている時の、無心になる時間。 時間がもったいない、という感覚もなく、 早くやらなきゃ、という焦りもない。 例えば、一日が洗い物だけで終わってしまったとして、 それは、明らかに、特に何も新しい情報なんて得てはいないけれど、 それはそれで、後悔なんてしないと思う。 #
by shogo-otani
| 2006-02-09 14:45
2006年 02月 08日
むかし、誰かが言っていた。 本気で人を説得するとき、漠然とした意味を持つ言葉を使うな、と。 おそらくそれは、一時的にそのものを意味深く見せる代償に、 実は、その意味自体の鋭さを、失わせるからだろう。 例えば広告も、きっとそうなんだろう。 #
by shogo-otani
| 2006-02-08 17:45
2006年 02月 07日
ビールを飲み、腹筋をして、日本のドラマを見ていたら、 偏頭痛になった。 この組み合わせには、きっと、どこか問題があるのだろう。 そんなことを、三段論法を駆使して証明するつもりなど無いけれど。 そうは言っても、帰納的思考よりは、演繹的思考のほうが好きだ。 ところで、偏頭痛ってやつは、本当に面倒臭くて、 寝るくらいしか、解決策が見いだせない。 しばしば思う。 もしも、寝ている間、時間が止まっていたら、と。 そうしたら、偏頭痛を始め、それから派生するあらゆる問題や、 さらには、偏頭痛とは、まかり間違っても交錯することのないような問題も、 もしかしたら、解決するかもしれない。 #
by shogo-otani
| 2006-02-07 19:24
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